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待機中は私語を慎め

[おりあに劇場]@舞台裏

【考察】と【感想】と【分析】を使い分けたって──

コラム

早いもんで2017年が始まって一週間が経っています。

年始めの感覚も抜けきる前に書いておきたい記事がいくつかあって、3日ぐらいから書こうといざキーボードとディスプレイの前に腰掛けたものの、PCが壊れ(タスクマネージャー画面の)ディスクが100%に貼り付いて戻ってこない状態になり、修理に出そうか迷っているうちに4日もたった。しかもいまだに修理に出していない。

この先送りぐうたら癖は2016年に置いてきたかったのに25年で染み付いたものが簡単に落ちるはずもなく、スローペース──いやスロースタートなポンコツの私です。

 

とりあえずリライトで仕事した気になるタイム

本拠地で書いていた記事について少しのリツイートがもらえた、なんて友人と話していると「【分析】なんてタグはつけないほうがいいよ」と言われた。そんな検索の仕方はしないと言う。

 

「〇〇(作品名) 、考察」あるいは「〇〇(作品名)、感想」

 

このほうが検索にひっかかりやすい。そういった主張である。

確かにこの指摘は頷けるし、私も懸念、自覚していた問題である。

乱造される【感想】から始まるスレタイにうんざりしていた私は差別化を図り、【分析】というボール一個分外にはずしたタグを使っていた。

内容を鑑みても、「これは考察といえるのか?」という疑問も抱いていたので分析のほうがふさわしいと思っていた。もちろん感想でしかない場合は、【感想】のタグを使うこともある。しかし一歩奥に踏み込めた感触を得られた記事の場合、それは感想とは別のものになっている、とも思う。

ではやはり【分析】タグは間違っていないといえよう。SEOを念頭に置いて(効果を優先して)考察や感想と銘打つよりもクリーンな気持ちでいられる。

しかしごにょごにょと、何かがひっかかる。

だいいち、【考察】と【感想】と【分析】に大きな隔たりを感じているのは少数なのではないか。大差ないと思っているのが一般ではないか。時間を空費しての推敲に意味はないのではないか。そんなきがしてならない。 

詮無し論になってきた。

なので友人の進言どおり【分析】のタグを【考察】に置き換えようと思う。何が変わるのかわからないけど。

ボール一個分外した結果、検索ストライクゾーンからはみ出してしまっていた、なんてのは悲しい話だ。